1884年、ハーミテージ最初のホテルは、ティマル出身の測量技師であり水彩画家でもあったFrank Huddleston(フランク ハドルストン氏)の指揮のもと建てられました。ハドルストン氏は草原や野生のユリやデイジーなどの植物が放牧や山火事によって全滅する恐れがあるとして、マウントクック地域の森林監視員に任命されていました。
宿泊施設としての最初の建物は、ホワイトホース ヒルのそばにあるミューラー氷河の麓近く、粘土にわらを混ぜた壁土の小さな建物で、日干しレンガ用の粘土を掘る穴に水が溜まってできた池がありました。
1886年、マウントクック ハーミテージ社は鉄道線路終点のフェアリーからハーミテージまでの定期馬車を始めました。現在フェアリーからハーミテージまでは車でたったの90分ほどですが、当時はなんと2日間かけていたのです!
1906年、マウントクック モーター社がハーミテージへの車の送迎サービスを始めました。
John Rutherford(ジョン ラザフォード氏)は1886年、初の定期馬車を走らせただけでなく、ここでも最初の車の1台を運転したのです。その後30年間ほど、悪天候や山火事によって初代ハーミテージは大きな被害を受け、また、増え続ける宿泊客に対応できない状態となっていきました。
1913年1月、2代目ハーミテージは現在のホテルのすぐそばで工事を始めたものの洪水によって損害し、その2ヵ月後別の洪水によって崩壊してしまったのです。
1914年、2代目ハーミテージがオープンするまでマウントクック モーター社は、増え続ける宿泊客を維持し、冬季もハーミテージが営業できるように拡張してきました。その後同社は土地/建物の賃貸を申し込み、1921年事業を引き継ぎました。ハーミテージはさらに拡張し、キャンプ施設が開発され、パッケージツアー(ニュージーランドではおそらく初めて)も設定されました。
1944年、賃貸契約期間が切れ、ハーミテージは政府に返還されました。
1957年9月、思いがけない惨事が起こります、2代目ハーミテージは大火災によって跡形もなく崩壊してしまったのです。政府は早急に新しいホテルをデザインし、建築をはじめました。
1958年5月、3代目および現在のハーミテージは営業を開始し、ツアリズム ホテル社の一部となり、ニュージーランド政府所有の12あるホテルのひとつになりました。最初の宿泊場所は現在のマウントクック ウイングであり、今日でも残っています。そして数多くの増築分はその後数年かけて完成されてきました。
1967年グレンコー モーター イン(現在のグレンコー ロッジ)
1969年パノラマ レストラン 1975年シャレー 1977年ウェイクフィールド40室
1975年、プカキからマウントクックまでの舗装道路完成に伴い、ハーミテージまでの旅行がスムーズになりました。
1990年、ハーミテージは政府から返還され、2001年、総費用2千万NZドルかけてホテルの大改装とアオラキ ウイング60室を増築しました。
今日ではハーミテージは最高級のアコモデーションとお食事を提供している世界でも有名な旅行先となっています。